フクモリシン
人間的、 文化的欲求としてのエンターテインメント
余暇と密接なワーク・ライフ・バランスという言葉がある。ワーク・ライフ・バランスとは、「仕事(Work)」と「生活(Life)」の調和が取れ、両方が充実している状態を指し、個人の能力発揮と生活の質の向上、企業の生産性向上や人材確保にもつながる考え方である。単なる労働時間の短縮ではなく、子育てや介護、自己啓発、趣味など仕事以外の生活「余暇」を充実させることで、仕事のモチベーションやパフォーマンスも高まる好循環を意味している。歴史を振り返ると、人々が「余暇」を持つようになったのは比較的近代のこと。18世紀以前、多くの人は一日中労働に従事し、働くのが一般的であった。つまり、暇な時間がなかったのである。貴族は特権階級として豪華な余暇(狩猟、茶会、社交イベント)を楽しみ、その活動が現代のスポーツや社交のルーツにもなっていると言われている。
18世紀後半から19世紀にかけての産業革命により、労働時間が短縮され、徐々に仕事以外の時間を持つことが可能になり、いわゆる余暇を利用した娯楽が肯定的に受け入れられ始めた。それまで娯楽は「贅沢」と見なされることもあったが、19世紀後半になると、“娯楽は健全な生活の一部である”という考え方が広まり、音楽や演劇、スポーツは単なる娯楽ではなく、文化や芸術として尊重されるようになったのである。
今年度は、しょうぶ学園に新しく「エンタメ倶楽部」がスタートした。福祉施設では生産的ではない娯楽的な活動が「余暇活動」という括りで漠然と位置付けられている。「エンタメ」は、人々を楽しませるための娯楽やコンテンツそのものを指し、「余暇」は仕事以外の自由時間を指す言葉。つまり、余暇(自由時間)の使い方のひとつとして、エンタメがある、という関係になる。
「エンタメ」とは、「エンターテインメント(entertainment)」の略で、娯楽とも言う。人々を楽しませ、感動や興奮、喜びを提供することを目的にした活動を主とし、映画、音楽、スポーツ、テレビ、インターネット、ゲーム、舞台演劇などが代表的な活動だ。
学園に「エンタメ倶楽部」ができたきっかけはいくつかある。
第一の目標は、ルーティーンすぎる利用者が内面に秘めた感情を解放し、精神的にリフレッシュすることやコミュニケーションの広がりなど、単なる余暇としての暇つぶしや気晴らしだけでなく、個人生活において、生きる喜びとして心理的に深い意味を持つこと。つまり、感情を解放することで自分の思考や生き方に必要な栄養として存在し、脳を活性化することにある。
もう一つの理由は、コロナ流行に伴い活用が停滞していた、2019年にオープンしたアムアホールのリスタートである。文化の創造を通した地域の社会的なつながりを強化し「障害」というテーマから「人間」という枠組みに拡げて、外部アーティストの招聘や講演会、レクリエーション交流など、人の面白さや奥深さをエンターテインメントを通して育めたらという思いは変わらない。さまざまなジャンルのアーティストや人間技が織り成す表現が社会との絆を創りだす場所として存在したいという願い。
そして、もう一つの大事な理由は、しょうぶ学園がモットーとしている“自分たちで創る”ということだ。職員と利用者が登場人物として演ずることや参加することによってケアする側とされる側がひとつになり、演者も鑑賞者もお互いの共感を得ることにつながることがもう一つの大きな意味でもある。演者も学園、観客も学園。自給自足がいい。
しょうぶ学園のエンターテインメントの象徴的な集団である結成25年目のotto&orabuは、集団のアイデンティティーや帰属意識を高めながら進化して、そこには「障害」という言葉はすでにない。8割のメンバーは音がズレて、ドレミのドもわからない集団だからこそ生まれる音もある。演者には自信と喜び、鑑賞者には驚き、ハプニング、言葉にできない、目に見えない感情的な非物理的な交換行為が行われているようだ。エンターテインメントは、その時代の文化や流行、時代の空気を反映して残していくものだから時代を移す鏡でもある。小さい世界で言うならば、otto&orabuはしょうぶ学園の価値観や伝統を次の世代に伝えていくために、そして、「障害とは何か」ということを共に考えていくために一緒に演奏しているのだ。
日常から少し離れた経験は、予測できない出来事も人生に刺激をもたらすイベントのようなものだ。人の心に残るインパクトと明日への活力になるためには、演者は娯楽に本気で取り組まなければならない。そして、演者も観客も脳みそが洗われることこそエンタメの真髄であろう。