2025.04.04 UPDATE
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フクモリシン

2025年度太陽会標語

「率先励行」- お互いに感謝の気持ちで –

 

今年の一月から三月の間に太陽会全体で十二名の職員が入職した。多くの新任職員を迎え入れることになった。学園ではチューター制度というものがある。チューターとは、新任職員や若手職員に仕事をする上で必要なことを個別に指導、困った時などに助言する先輩職員のこと。マナーや担当する業務に関する知識を教え、任された業務を遂行できるように支える役割を担う。一対一の関係であるため、個人に合わせた指導ができ、話しやすく働きやすい環境をつくることが目的である。さらに、チームごとに新任職員を迎え入れながら懇切丁寧に指導する姿勢が必要だ。とはいえ、人を育てるなんてことは簡単ではない。ましてや直接的な仕事に追われ、机上では人材育成の大切さを知っていても現場ではつい後回しになってしまう。人材育成自体が仕事の目的の一つにあることを念頭に置き、まず自分から行動し発信することを目標に掲げたいと思う。

山本五十六(※)のことば (太平洋戦争連合艦隊司令長官)

「目で見せて、耳で聞かせて、して見せて、褒めてやらねば人はできぬよ」

学園創設以来、色紙が職員室の壁に額に入れて飾られている。率先垂範を表す言葉として有名だ。率先垂範とは、「自ら手本となる」「身をもって示す」という模範を示す意味が含まれている。自ら先頭に立つという意味合いが強く、リーダーシップや経営の指針として一般的に用いられる言葉である。しかし、率先垂範には使い方を誤れば逆に落とし穴がある。例えば、上司が力や技術を部下に見せつけるような嫌味なニュアンスになって伝われば、働く職員のやる気を高めるつもりが逆効果になってしまう。技術的に優れているところを見せれば、率先垂範の姿勢になるわけではない。

率先垂範に似た意味を持つ表現に「率先励行」という言葉がある。比較してみるとその意味に違いがある。「自ら進んで先頭に立つ」という意味は近いが、他者に模範を示すことよりも「自分のために自ら努力に励む」という意味合いが強い。簡単な例では、仕事の成果はもちろんであるが、人の嫌がりそうな仕事を誰も見ていなくてもいとわず進んで行うことや、誰もが面倒で避けるような仕事や難易度に関係なく、上司が自ら積極的に取り組む姿勢が重要である。技術的なことよりも基本的で堅実なその姿勢に人がついていこうと思う気持ちになるように、正解を求め過ぎず相手にわかりやすいアプローチが求められる。

率先して今何をすれば良いのかの判断には、まず「気づき」がなければ始まらない。その判断は瞬間瞬間に訪れているのだが、気づいていても自分の仕事の範疇を超えての率先行動には至らずにいる場合が多い。掃除や整理整頓はもちろんのこと、日常生活支援、創作活動支援などの直接支援などの他、利用者や部下職員の表情や情緒などの感情への配慮、形に見えない雰囲気づくりや人間関係など多岐にわたる業務の中で、百人の中の一人の職員が一つ気づけば一日で百の気づきがある。人に押し付けず、必要な気づきを自分の行動に移せば、「率先励行」という責任感が育ち、マニュアルは少なくて済む。命令されることは少なくなり、お互い感謝されることが多くなる。次第に全体の空気が変わってくるはずだ。

山本五十六のことばには続きがある。

「話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。やっている姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず」

相手に敬意を払わないと人は動かないということに他ならない。「名選手、名監督にあらず」名選手が持っている知識や技術を自分基準でそのまま教えても人はついてこない(ついてこれない)と言う。育成する側の個人やグループが成熟していれば、育成される側は不安感が減り、様々な角度から広く仕事の意味を捉えることができるであろう。人材育成の質は、育成する側とされる側が共に成長しようという意識を持つことがベースになければならない。つまり、お互いの信頼がなければ始まらないのである。一昔前までは先輩の背中を見て育つと言われていたが、今は具体的でわかりやすく、厳しくなく優しく、そして計画的にマニュアルに沿って、というような風潮はあるものの、結局は一生懸命に責任を持って自分の仕事に向かって働いている姿は美しいものだ。そんな先輩を見て、感受して、働く人の内発的なモチベーションが上がるような仕事場でありたいと思う。そして、失敗しても前向きに助け合っている空気感が優しさを生み、覇気を生み、仲間が集まり共鳴する。三人寄れば文殊の知恵。まずは、お互いに感謝の気持ちで「率先励行」。そんな組織風土の上に新しいアイディアが生まれてくる。

(※)山本五十六

昭和14年(1939)連合艦隊司令長官に就任。昭和16年(1941)ハワイ真珠湾攻撃を敢行し未曾有の大戦の指揮をとった。昭和18年(1943)ブーゲンビル島上空で米軍機に撃墜されて戦死。死後、元帥府に列せられた。