
フクモリシン
「共感共創」
嘘をつくことは、正常な考え方なのかもしれない。
小さい頃から嘘をつくということが人間にとって本当に「良くないこと」だと教えられてきた。子供や学園の利用者へも嘘をつくことはダメだと言いながら、自分は数えきれないほどの嘘をついてきた。「必要な嘘」と言い訳しながら人と付き合ってきたのだ。今回は、今一度嘘について少し考えてみた。
情報化社会の今、世界の報道やリーダーという立場の人の発言は、先進国や情報発信国のきれいごとベースになって、不利になれば嘘をつくという常識があるということにどうやら気づいた。正直がマジョリティと思い続けていたが、正直の方がマイノリティな社会に向かっていると思う。昔から「正直者は損をする」と言われてきたが、今や正直な言動が誤解やおせっかいとして、あるいはフェイクニュースやデマとして捉えられたり、受け手の感情のバイアスによって正直な言動が致命的なマイナスに働くようなこともある。
また、嘘に近い概念として真実を隠すカモフラージュという言葉がある。自然界において、動物も生きていくために、カモフラージュして天敵から身を守ったり敵を仕留めたりする。人間はそれを見て賢いと称賛する。生き延びるために嘘をつくことを肯定してきたというならば理解できるが、カモフラージュが戦争の代名詞になるのは許されないことだ。しかし、強国と言われる範疇にあるロシア、アメリカ、中国そして、日本。フェイクニュース、サイバー攻撃の応酬。攻撃されればさらに強い攻撃を進化させるという対症療法のようなセキュリティーの強化。根本的に国が国を攻撃しなくなる方法を政治家は考えないのだろうか。「嘘をつく」「欺く」ということで賢さや強さとしての権力を示しているのか?
テクノロジーの発達は、人間にとって「必要な嘘」を無視して、自分の実力以上の利益や名誉を獲得できる手段となりつつある。自動翻訳は便利だが、他国語を話せない人が話せることになる。手紙や論文も自分の気持ちで書かなくても上手に書ける。技術を学ばなくても絵画や音楽も作れる。わからないことがわかってしまう。自動運転も同じだ。確かに事故が少なくなることは良いことに違いないが、廃用性萎縮と同じで自分の技術や判断力が衰えるだけでなく、人間力の衰退という意味において危機感を強く感じている。つまり、自分の知能ではできないことができるようになる。それは自分自身の能力への「嘘」である。身の丈を超えた環境は自分の体(身体)や頭(能力)を衰退させる。
現代は、仕事においても人間関係においても情報をできるだけ多く抱えていなければならないような時代だから、知識や技術だけでなく、精神的思考さえもAIに相談する人がものすごいスピードで増えている。自分に関する物事を自分で考えず、決められなくてもAIに相談すれば物事は進んでいく。本当に自分に必要な知識や情報がわからなくなり、どんどん肉付けしようとして自分の本質が埋もれて、自分自身が何者かわからなくなる。思考力や共感力、判断力や修正力、信頼関係が失われ、いわゆる一人一人の価値観や人間性というものが形骸化する危険性が高いのである。AIは、多くの場合、失敗しないように、間違わないように教えてくれるから、論理的な物事においての失敗は少なくなるだろうが、非論理的な感情や直感的創造性に弱いから、失敗すると立ち直る力を持たない、脆い人間になる。・・・結果的に巨人の監督も辞めることになった。
人それぞれ個人の思考や人間関係にもコンピューターに頼る時代はすでに到来した。シンギュラリティ(技術的特異点)と呼ばれる時代が2045年までに来るとも言われている。このことは賛否両論であるが、AIが人間の知能を完全に超える未来を意味している。
人間は失敗する生き物と言われてきた。今の時代ではナンセンスなのかもしれないが、こんなご時世だからこそ経験は人生の宝というニュアンスを大切にしたい。本来、人間は成功したことや失敗した経験を重ねて学習し、次にどうしようかと悩みながら物事の仕組みや人間関係について配慮し、工夫や創造性を養いながら成長していくものではないだろうか。何が正しいことなのかわからない中で生きている。学園には、知識や情報が少ないことが幸いして、より人間らしく間違いに気づかずに幸せに暮らしている人々がいる。
「嘘も方便」という言葉がある。この言葉は仏教用語で、物事をより良い方向へ導くためや思いやりの嘘で、人間関係を円滑にするために限定的でやむを得ない正当な手段を意味している。たとえば、体調がすぐれない親族の病状を遠方にいる知人へ心配をかけまいと「まあまあ元気だ」と伝えたりする。AIは、このような非論理的にその人の感情を読み取り「嘘も方便」や「必要な嘘」を使うことができるだろうか?(できるようになれば、その方が怖い世の中になるが)「必要な嘘」は、相手を思いやる感情がベースになった心に響く目に見えない人間関係に重きを置いた優しい嘘とでも言えようか。
「嘘」も「必要な嘘」も境目がなく解釈が難しいから、余計なことは謹んで、物事に逆らわずに、口を出さないことも必要だ。「口は災いのもと」とも言う。マスクをしていると美人に見えると言われるのは、口元が見えないからだろうか?
でも、コロナ禍でマスクをしていたが、災いは減らなかった。
こんな時代だからこそ、混乱している「人間の価値」について考えなければならないと思う。