フクモリシン
先日、あまり持つことのないスーツケースに一〇日分の荷物を詰めて長期の出張に行った。日に日に荷物が少しずつ増えていく。帰りには梱包にも苦労する。Tシャツは丸めた方がいいのか、畳まずに伸ばして重ねた方がいいのか試してみる。壊れやすいものは動かないようにしなければならないし、読まなかった本は邪魔になると気づいたが捨てられない。バッグを一つ増やして手持ちにすればいいのだが余計荷物になるのでどうしても一つのスーツケースにまとめたいから無理をする。隙間がなくなる。許容能力のない入れ物にたくさん物を入れようとすると一杯一杯になる。人間の精神状態に似ている。両手は空いているのにスーツケースという頭の中にどうしても全てを詰め込もうとする。身軽になると物やことがよく見えるはずだと思うのだが、重たいスーツケースを持ちながら移動するとなると行く場所に制限が出てきて、寄り道をしようなどとは思わなくなる。好奇心がなくなっていく。
好奇心は、奇想天外な新しい発想や人間や組織を元気にする大事な要素である。好奇心について、心理学者 ジョージ・ローウェンスタインが提唱した「情報の空白」という考え方がある。「知りたいこととすでに知っていることの間に空白がある」と言う。つまり、少し知っていることとよく知っていることのどちらにも“もっと知りたい気持ち”(好奇心)が芽生えるというのである。要は何かに気づき、スイッチが入る状態、もっと何かを吸収したいという余力があってこそ生まれるエネルギーなのだ。瞬間的に空白を埋めようとするので埋めてしまうと安心感が生まれると同時に好奇心が低下してしまう。好奇心が生まれるには入るだけの空間(余白)が必要なのだ。空間とは、見た目には“何もないところ”ではあるが、物理学において空間とは、広がりをもった連続体であり、物質全体にその存在の場所を与えている“見えない実在”であると考えられている。空間や考えない時間という余白は、偶発的発想力と全体のバランスを保つための浮き袋みたいなものだから、詰め込みすぎたスーツケースのように余計な重さがあると不安定になる。
家のガレージに収納棚を作った。棚に何を入れるか、ある程度計画しながら大きさや棚の段差を考えて作る。箒やスコップなどのガーデン道具も壁にかけられるように、そして取り出しやすいように奥行きや間隔が適切になるように、フックやネジも何度もホームセンターに行ってサイズや品質を調べて設置した。だからこそ出来上がった棚に物を入れる時には、密かな達成感と楽しみもある。そして、最終的にはその棚に物が収納されて初めて棚としての機能的存在が完成度を高めるものだ。家具もクラフトと言われるものの多くは機能性が高いと必然的に視覚的にも良いデザインになる。つまり、機能美というものだ。そして、物は使われてこそさらに良いものとなるはずだが、物を入れてみるとたちまち棚が物で埋まっていく。思ったより入りきらないものがたくさんある。倉庫の物を全部収納しようとすると機能美どころではなく見苦しくもある。作る事も物を大事にするということも良いことだが、何かを捨てないと入りきらない。足りないから作ればいいと言うことでもなかろう。棚は次に何かを入れるための空きスペースが大切なのだ。
若い頃から足りないものに貧欲で、人の言うことは聞かず、自分では決断力と行動力はある方だと思っていたが、六〇歳もとっくにすぎて、最近はいつも迷って決められないことが多くなった。実は断捨離が苦手だ。断捨離する基準のひとつは「数年使わない物」と言われるが、簡単には捨てられない。では、不必要なものをどう判断するか、本当に大事な物(本筋)だけ残せば良いのだが、これがまた難しい。歳のせいと言ってしまえばそれまでだが、物だけでなく決断力が低下しているのは、不要な記憶や物事を詰め込んでしまって頭に余白がないということだと今更ながら気がついた。不必要なものを減らすことをせずに余白を埋めるように進んでいくと新しいモノやコトは入ってこない。デザインも音楽も物事の構成には本筋があってこそ余白が生きてくるのだ。本筋がなければ余白ではなく空白になる。本筋を見極めてその他をいかに捨てるかが断捨離のコツであると思った。そして、断捨離しなければ創造(クリエイティビティ)は生まれないと言い聞かせてみる。トークスポットを書くのも一〇〇回を超えた。これまで書いてきたことはほとんど自分への戒めだ。ある職員が言った。「ほどほどがいいんじゃないんですか」。