2022.02.04 UP DATE
TALK SPOT 97

フクモリ シン

2022年標語「虚心坦懐(きょしんたんかい)

学園の利用者も歳をとった。学園開設依頼、48年間ずっとここで暮らしている人も多い。まさに、自分の人生の居場所である。入所の方もグループホームの方も高齢になって、体が弱り介護も必要となって支える職員の負担も増大しているのが現状である。職員は、人の人生に寄り添う責任の重さとやりがいの間で葛藤しながらも、当時行き場がなくて入所した人が、友達ができ、好きなことに没頭し楽しく過ごしている穏やかな日常に安堵感を感じるのである。とはいえ、集団生活の中では毎日が幸せな時間だけではない。知らないもの同士が同居の同意もないままに入所してみんなと馬が合うはずがない。健常者といわれる人だったらどうなのだろう。これは障がい者だから難しいと言う問題だけではない。加えて、激しい感受性をもち、意思表現の難しい人たちが、時として関係したくなくても関係しなければならない暮らしを送っているのだ。働く職員は、行動障害を支えることに加えて身体介護に追われ、精神的にも体力的にも一杯一杯になることも。

十五夜には相撲大会があり、運動会で元気に走り回っていた人たちが老いていく。作業場で絵を描いていたり、刺繍をしたり、木を彫っていた人が作業ができなくなり車椅子で暮らすようになる。人間は皆老いていくのだから自然な姿だとしみじみと慈しみ、昔の記憶が蘇ってくる。決してネガティブな感情や老いた寂しさに焦点を向けているのではない。現状を見つめながら、暮らしと環境を俯瞰的に観ること。感情に振り回されず、平常心で公平な気持ちで「虚心坦懐」に人の声を聞き、私たちに身を任せて暮らす利用者のライフスタイルに順応した暮らしのあり方を見直すとともに、一生懸命に働く職員の喜びにつながる環境を整えていかなければならない改革の時期にあると思う。

「虚心坦懐」の意味を調べてみると「評判や苦手意識を捨て、平気(・・)(フラット)な気持ちで物事に向き合うこと。偏見、先入観を排除しそのままを読み解く心の持ちようや行動を言う。虚心とは、わだかまりがなく無心であり、坦懐とは、(ふところ)がたいらでさっぱりしておおらかなこと」とある。しかし、現実的には歳をとるごとに自分の頭が凝り固まってフラットにすることはできない。偏見や先入観すら捨てられずにいる。自分自身もどんな人か未だにわからないのに(たぶん一生わからない)、自分の考えを後ろに置いて全体を見るということは難しい。これまでの人生経験や実績を礎に今の自分の立場や考えが作り上げられてきたのだから。自分は自分でしかないが故、「虚心坦懐」になれずとも、あえて今、目指すところは「虚心坦懐」。

このコロナ禍で、改めて人間の弱さを知った。人間は、強くあろう、知的であろうとするけれど、進化論において、いちばん最後まで生き残る種は、そもそも強いものや、知的なものでもなく、変化に適応した生物らしい。権力や地位で防ぐことのできない見えない敵には、みんな弱いのだから、逆らわずに助け合わなければ。

我が憧れの岡本太郎曰く、「こんなに弱い、なら弱いまま、ありのままで進めば、逆に勇気が出てくるじゃないか。もっと平気(・・)で、自分自身と対決するんだよ。」

利己心を捨てれば何かが変化していくと思う。

季刊誌103号『TALK SPOT』ページより掲載(季刊誌購読方法はこちらへ

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