2021.04.30 UP DATE
心の窓(100)

あなたや私、丸ごと

 学園に入るまでずっとライターという仕事をしていて、誰かの作品、行動・・・その背後にある想いを言葉にしてきた。あいまいな木の塊からそれを彫り出し、明瞭な言葉を見出す。それ以外を排除し、正しい重さの言葉をぴたりと見つけるよろこびは大きい。「はじめに言葉があった」と聖書にあるとおり、言葉にしないと空から色につかみとれない。そして芯と芯とで交われないから。

 しかしそれは同時に極めて野暮なことでもある。言葉にすることで取りこぼすものがある。すべてを言葉にできないからこそ音楽があり、哲学があり、別れがあって、人生は生きる価値がある。

 学園には、言葉を介さない表現や関係がたくさんある。人と人が説明しあうことなく、ただいっしょにいる、がある。そこには取りこぼしがなく、丸ごとでそこにいられる。学園にはそれを許してくれる人がたくさんいる。

 静かに描いたり、縫ったり、石のくぼみに溜まった雨水を一心に手ですくい出している人の隣にいるとき、私は言葉で規定されず、切り取られず、丸ごとそこにいることが許されていた。「私」という輪郭から自由になれる瞬間。空気に溶けていくような、あいまいな拡がりがうれしかった。

 この春、4年間お世話になった学園を卒業し、また書く仕事に戻る。対話を中心に据え、言葉を紡ぎだす日々に。でも、言葉では切り取れない、私たちは「私」や「あなた」の外にはみ出している部分もあってこその存在だと、忘れないでいたい。

 丸ごと、ここにいさせてくれた学園の皆さんへ。ありがとうございました。

季刊誌100号『心の窓』より掲載(季刊誌購読方法はこちらへ

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(omni house 支援員 小野好美)