2022.02.04 UP DATE
人(ヒト)35

中原浩大(美術家、京都市立芸術大学教授。)

奥山理子(みずのき美術館キュレーター、Social Work / Art Conferenceディレクター)

福森 伸 (しょうぶ学園統括施設長)

CONNECT⇄__ 」は、アートを通して多様性や共生社会について考えるプロジェクト。2年目となる今年は「つながる・つづく・ひろがる」をテーマに京都府で複数のプログラムを展開されました。中原氏の「つくる」立場からより深く多くのことを教わっていくトークシリーズ「実はよく知らないんだよ。だから聞いてみようと思う。(中原)」から奥山氏を交えたトークの一部を抜粋して掲載します。「彼ら」とわたしたちの感性が交じり合うそれぞれの場所。芸術家として、施設スタッフとして、専門分野からひとつの事象を読み解きます。

対談収録日:2021年11月5日(金)ZOOMにて

上段右 中原浩大氏、上段中 奥山理子氏、下段右 福森伸

奥山:今回はこの3人で話をしていけたらいいなと思って、進行役を務めさせていただきます。それではさっそく福森さんから伺います。

福森:ノーマライゼーションとかインクルージョンとか多様性という現在の大きな福祉の流れがあります。施設は閉鎖されているから開放して地域に出しましょうということがスタートだったんじゃないかな。でも彼らにとって過ごしやすい場所ってどこだ、と。社会が千差万別ある障害を持つ人たちを含めた万人を受け入れることがいつになったらこの経済の中でありえるのかと疑問。僕の持論としては施設から地域に出ていくよりも、施設を地域として社会化した方が早いし、僕が生きている間にできることはそのくらいにしか行きつかないと考えています。

奥山:利用者を連れて外出するときは緊張しますよね。いわゆる世間一般の常識から外れた行動をしてしまったらどうしようって。一方で、しょうぶ学園だけでなく施設の中では、みな利用者のことを知っているわけで、まさにホーム感っていうのがあるんだろうなと思います。もちろん福森さんがそのためにとてもご苦労されているとは思うんですけど。

福森:社会性のあるなしは別にして、自分の考えは押し付けない、けど同調もできない。同調もしないけど「あ、そういう考えなんだね」って考えの違う彼らと肩組めたらいいのになという風には変わってきましたね。

中原:その肩組めるっていうのは対等にいるわけではないってことですよね。もうちょっと感覚としてわかりたいです。どんな感じですか。

福森:君はそうか、僕は違う。考え方や価値観は違っていてもいいやつだなって。奥山さんもわかるんじゃないですか。

奥山:他のアート活動とかされている施設もたくさんある中で、今回、福森さんと話したいなと思ったのは、彼らと肩を組めるってところにつながっているのかなって思うんです。福森さんにとって影響を受けた人がしょうぶ学園の利用者さんたちであること、しかも暮らしの中で影響を受けておられる感じがするのが、自分とみずのきの関係にすごく似ていると、あつかましくもシンパシーを感じたところにあります。福森さんは長い年月をかけてしょうぶ学園で24時間いろんな人たちの人生を見続けて、ご自分もそこで歳を重ねてこられているっていうところが、ご自身の人生の変化としょうぶ学園の利用者の人たちの人生とまぎれもなく重なっている感じがしています。だから「性格合わないから嫌いな人だっているさ。」とか言われても、施設のスタッフとしてまずいんじゃないかっていう風に思わない。人間同士の関係ができてるのを感じられるから。

福森:ところで中原さんはマルチ美術家でいろんなことをする人だと聞いています。障害者のこういう話、いつから入ってきたんですか。

中原:僕のことはよく知らないだろうなと思っていました。はじまりは、、、1989年にベルギーのアントワープで日本の現代彫刻グループ展の企画があってそれの一番若い人間として一緒に出掛けて展示しました。そのとき隣町にゲントっていう町があって、そこでヤン・フートというキュレーターがいわゆるアール・ブリュットっていうのかな、精神障害の人たちの作品と現代美術の作家たちの作品を併置して並べるっていう展示をしているのを見て。もうひとつフランスのポンピドゥーであった展覧会では、ヨーロッパの外側にいる人たちが作っているもの、つまり周辺の存在(シャーマンの描いた絵やフォーク・アート的なものなど)と、現代の作家たちの作品を並置してて。自分は現代の日本の彫刻の作家として展示をしているっていうシチュエーションを俯瞰して、これなんなんだろうってその時にふっと思ったんですよ。自分はこういう現代の彫刻家になりたかったのかみたいなことをふっと思いはじめましたね。というのがはじまりですね。そのポンピドゥーでやってた展覧会が「大地の魔術師たち」っていうタイトルだったんですけど、僕は現代の彫刻家になりたかったのか魔術師になりたかったのか。これはなんとなく違うぞって思いだして、いろんなことをもう一度見始める、自分が立っている場所をどうしようと思い始める。

福森:みずのきとはどんな出会いだったんですか。

中原:それからしばらくしてになるんですけど、僕が今勤めている大学が京都市の西の外れにあるんですけど、ひと山超えると亀岡っていう町でそこにみずのきの施設があってそれまでは僕知らなかったんですけど、たまたまみずのきの作品を横浜で展示するっていうときに東京の画廊の人が、作品を選びに来てて。同じ大学の先生がそれに呼ばれてたけど、用事があるから僕が代わりに行かせてもらったんです。ゲントで見たのが精神障害の人たちの作品で、みずのきで知的障害の人たちのやってることっていうのを初めて見ました。その当時ちょっとだけそういうことに興味は持っていたんですけど、いろんな社会的、福祉的、美術的な事がすごく複雑にせめぎあって重なり合っているような場所(=フィールド)なので、どうこれを見たらいいんだろうっていうふうにその時思って、その後もそれ以上踏み込めなかったって感じでした。

福森:そのベルギーの展覧会とかを通じて、たとえばフォーク・アートだとか名もない人たちの生活の背景と生き方や心情みたいなことが自然に出ているアートみたいなものとか、現代アートだとかいうそこで答えが見つけられないというようなことをおっしゃったんだけど、自分はなぜ彫刻をしているんだろうとか思われたりするんじゃないですか?

中原:思いました。しかもそのゲントの展示の、その時の印象を言うと、そうでしかない人たちと、それを学んだあるいはそうなりたかった人たちの作品の搾取の関係みたいなのすら見えるっていう感じで。これ、現代美術全然あかんやんっていう感じがしました。自分達がオールド・マスターだと思っている作家たちの作品が生まれてくる背景のようなものがそこで一瞬見え隠れしている、みたいなのがすごく気になって、というのがありました。これは矛盾してるんですけど、僕は今でも、芸術大学で教えてて、彫刻科で教えてて、今度もこういう企画があったとするとなんていう肩書にしますかって聞かれると自分の中ではジレンマがいつもあるんです。そこで変な名前つけたりする人もいるじゃないですか「なんとか家」みたいな、それもすごく嫌なのでいつも悩むんです。

福森:現代美術作家ではいけないんですかね?

中原:僕はどこかで美術という言葉すらなんかこう置いときたいなっていうのがあって。そういう言葉を使わないで自分が説明できると良いのになっていうふうにはずっと思っているんですよ。そういう意味では今度の企画はそれと重なる部分はあるんですけど、最近はアウトサイダー・アートとかアール・ブリュットっていう言葉が強烈に使われていて、うがった言い方をすれば便利に使われている状況もあって。そこに評価を求めているみたいなところもあって。でも、ちょっと引いてみるとそんなにアートじゃなくてもいいのになって思う部分もあります。

福森:そうであるしかない人に対して現代アーティストっていうのはそこから抜け出して、そうでないものの表現を探り探求する人のように今感じましたね。僕はフォーク・アートじゃないですけど、あまりにも条件の少ない中でああいう美しいものを作れるというのは、思っちゃいけないけど知的障害の良い意味での視野の狭さと似ていると思うんですね。シンプルであればあるほど、と思うこと自体がシンプルでないんじゃないかと。彼らはシンプルしか知らないから。あまり無理に影響を与えないというのは大事なんだろうなと。

中原:でもさっきの話を聞いててそこを恐れずに影響を与えていいんだよって思ってらっしゃるのがすごく力強く聞こえました。それこそアール・ブリュットの定義とかを考え始めるとここまで入っていいのか、と思うんですけど。手を入れた瞬間にデュビュッフェが定義するアール・ブリュットじゃなくなってしまうっていうことじゃないですか。それはその覚悟としてアール・ブリュットがなんぼのもんじゃいって思ってるってことかもしれませんけど。

福森:はっきり言いましたね。

中原:そこの決断は結構大きいですよね。ホームページとか見させてもらっても、すごく「混ざってってる」じゃないですか、しょうぶ学園のやりかたって。孤立させないっていうか。いっしょに混ざっていこうよって感じがすごくするんですけど、そういう意思のあらわれっていうか。

福森:ま、アリってことですよね。それぞれがアリだから。あなたはこれでアリだし、わたしはこれでアリだよって。いろんな人がいるんだなって。

奥山:今日やっぱり福森さんの話を聞けてよかったなって思いました。

福森:こちらこそありがとうございました。

中原:ありがとうございました。

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CONNECT⇄__つながる・つづく・ひろがる

会期:令和3年12月2日(木)~19日(日)

場所:京都市内文化施設及び京都府内4会場

障がいのある人の”つくること”を巡るトークシリーズ「実はよく知らないんだよ。だから聞いてみようと思う。(中原)」文化庁と京都の文化施設によって開催される「CONNECT⇄」の一環で、京都市京セラ美術館が企画したプログラム。自らも「つくること」や「表現すること」に携わってきた美術家中原浩大(なかはらこうだい)氏が、精神や発達に障害のある人の創作や表現行為の歴史、背景、現在地について、”よく知りたい・少しでも理解を深めたい人”のひとりとして聞き手となり、ゲストとともに考えるトークシリーズ。その記録をもとに、声と手話による映像展示が行われた。

会場:京都市京セラ美術館 本館 光の広間

展示:令和3年12月3日~12月9日

https://connect-art.jp/program/kcma-01/

季刊誌103号『人』ページより掲載(季刊誌購読方法はこちらへ

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プロフィール

●中原浩大(なかはらこうだい)

美術家、京都市立芸術大学教授。
1961年岡山県生まれ。京都市立芸術大学大学院美術研究科修了。現代の社会における芸術活動の“Another Model”についての彫刻領域及び脱領域的アプローチによる制作と研究を行っている。

●奥山理子(おくやまりこ)

みずのき美術館キュレーター、Social Work / Art Conferenceディレクター
1986年京都生まれ。2012年みずのき美術館の立ち上げに携わり、以降企画運営を担う。アーツカウンシル東京「TURN」コーディネーター(2015-2018)、東京藝術大学特任研究員(2018)を経て、2019年よりHAPSの「文化芸術による共生社会実現に向けた基盤づくり事業」に参画し、相談事業「Social Work / Art Conference」ディレクターに就任。