2021.01.06 UP DATE
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永田幸一郎 (可否館 館長)
福森 伸 (しょうぶ学園統括施設長)

鹿児島で希少なコーヒーを楽しめるお店「可否館」。
本格コーヒーの味わいに加えて、
民藝品の食器や家具に囲まれて過ごせるとあって
根強いファンの多いこのお店の館長・永田氏にお店の成り立ち、
民藝の作家さんとの出会いなど語っていただきました。

左:永田幸一郎氏、右:福森伸

福森:永田さんとの出会いは今から35~36年前、僕が26歳くらいのとき。当時は天文館(鹿児島市中心部の繁華街)にあった可否館に行き始めたんです。

永田:僕が店を初めて間もない頃でしたね。

福森:当時僕は東京から鹿児島に戻ったばかりで、美味しいフレンチコーヒーの店を探していたんですが、まだ鹿児島にそういうお店がほとんどなかった。それで可否館を見つけて、小さな看板に「可否館」と柚木沙弥郎さんの文字で書かれていて、民藝のテイストだと思って、入ったら松本民藝家具が置いてあって。僕は木工を始めた頃で松本民藝家具に相当影響を受けていたので、コーヒーもこれはもう最高に美味しく感じるわけです(笑)。いや、本当に美味しいんですけど。

永田:コーヒーも民藝も両方とも好きだから、お話していて楽しかったですね。

福森:当時は週二回くらいは行っていましたね。最近だと2018年に学園が会場となった「日本民藝夏期学校」に永田さんが遊びに来てくださいましたね。でも、永田さんがなぜコーヒー店を始めたかは実はよく知らないので、今日伺いたくて来ました。

永田:僕が店をやりだしたきっかけは、もともと美術や工芸が好きだったんです。彫ったり作ったり、描くのも好きでした。そこがスタートなんです。

福森:ご両親がそういうものをお好きだったんですか?

永田:骨董好きな父と、民藝が大好きな母なんです。僕は出身が熊本の人吉で、中学生の頃、家の近くに「魚座民藝店」という店ができたんですね。母は一目でそこにはまっていて。私はまだ小さかったけどやはり芸術が好きで、なんか美しいな、この家は、と思いました。そこで民藝を覚えて。

福森:魚座民藝店は僕も好きでよく行っていましたが、2020年7月の球磨川の氾濫で、大変な被害に遭われてしまいましたね。

永田:はい。今は娘さんが後を継がれていますが、本当に大変だと思います。なんとか復活を応援したいですね。

福森:本当に。
   ところで、大学は日大とのことですが、美術系に進まれたんですか?

永田:そちらへ行こうかとも思ったんですけど、家業の材木屋を手伝わんといかんのかなと思って、そのために経営学部に進みました。卒業後、実際に材木屋に入りましたが1、2年くらいしたら、何か違うな、自分がやりたいのはこれじゃないぞ、とやはり思って。

福森:民藝が好きで、木が身近にあったら自分でも家具を作りたいと思わなかったですか。

永田:思ったですよ。それは小学校のときの鳥かごから始まって(笑)。

福森:やっぱり。器用そうだもの。

永田:鳥かごは竹を肥後守という小刀で削って、落としかごという鳥を捕まえるためのものでしたね。下にメジロを入れて、上に仕掛けを作っておいて。

福森:鳥が止まったら、パタンと閉まるんだ。

永田:そう、ぴたっと閉まるんですよ。家具もどきも作っていましたよ、中学生のころとか。

福森:えーと、そこからどうしてコーヒーの道に行ったんですか?

永田:はい。父の骨董や母の民藝を見て、近くにあった民藝店でますます民藝にはまっていくわけです。そうして、沖縄に「可否館」というコーヒー屋さんがあるんです。

福森:はい。行ったことあります。

永田:魚座民藝店に紹介されてそこへ行った時に「ああ、いいな」と。高校生の頃、最初は絵画の方に行こうと思っていたんです。それでその頃に民藝店をずーっと見ていたら「あ、キャンパスだ」と、店の空間がキャンパスに見えたんです。

福森:ああ、なるほど。

永田:飾っているものを変えていけば、また違った絵になる。この店内も、四季に合わせて掛けているもの、置いているものを変えているんですね。季節のものを入れながら、世界の、日本の工芸品を入れ替えていく。いつもきれーいに、絵を描いていたいんです。沖縄の可否館を見て、そういう美術を表現するにはコーヒー店というのはいい空間だと思ったわけですね。それで20代の中頃に自分で作ろう、といよいよ思って。

福森:コーヒーより民藝の方が先だったんですね。

永田:実は。

福森:店作り、コーヒーというキーワードによる空間作りなんだ。

永田:美しい民藝の館を作りたい、という気持ちなんです。

福森:なるほど。民芸品は飾って楽しみ、そして日常で使うことによって初めて深い味わいを感じることができるんだと思います。

永田:はい。その館のなかでは、みんないいものを飲むわけです。日常的に使うものだけど、やっぱり良い日常。そうしたらそこで出すコーヒーも普通のコーヒーじゃいけない、いいものを作らないといけないな、と思いました。それで自分で生豆から仕入れて、焙煎して、その空間に見合うものを作っていこうと思って、今度はコーヒーの世界にも奥深く入っていくことになったんです。その辺のでは満足しなくなっていく。今でもその探求は続いているんです。それがスタートです、なんでコーヒー屋になったかというと。小さいながらも館を作りたかったんです。

福森:気に入ったものに囲まれて。

永田:そしたら楽しいだろうなと思って。コーヒーも好きだし、民藝がその頃一番好きでしたし。

焙煎中の様子。

福森:柚木沙弥郎さんが描かれた看板はどうやって生まれたんですか?

永田:僕は「珈琲館」という屋号でお店を始めようかと思っていたところ、沖縄の「可否館」は魚座民藝店がプロデュースしていて、魚座さんが僕にも「コーヒー屋をやるなら柚木さんの字体で、表記も『可否館』にするのがいい、沖縄の『可否館』にも言っておくから」と。それで僕からも沖縄のお店に「同じ表記、字体でやっても大丈夫ですか」と聞いたら「いいですよ」と言ってくださって、同じ店名とロゴになったんです。看板の絵も魚座さんの紹介で柚木さんにお願いして、こちらはお礼として僕から沖縄のお店に送らせてもらって。第二弾の絵もかわいいんですよ、猫もいて。柚木さんは動物が好きなんですよね。

福森:そうした経緯だったんですね。柚木さんは僕も展覧会でお会いしたことがあって、あちらは覚えていらっしゃらないと思うけど、少年のような、シンプルで素朴な考えを持った格好いい方ですよね。

永田:はい。図録で知ったんですが、柚木さんの自宅にこの看板の絵の原画が飾ってあるそうなんです。入口入ってすぐのところに。それを見て初めて、看板の絵が柚木さんの自画像だったと知りました(笑)。

福森:そうだったんだ(笑)。柚木さんはメキシカンフォークアートを彷彿とさせるイメージがありますよね。

永田:そうなんですよね。

福森:以前読んだ文章で、柚木さんがメキシコの美術館で、作家の染色よりも民芸品の人形とか馬に心惹かれる、というようなことが書いてありました。作家として何かを見せようとするんじゃなくて、自分たちの村を心をこめて作りあげていくような様がなんと素朴できれいなんだろう、と。メキシコの色の出し方にも魅了されたと書いてあったと記憶しています。

永田:うん、柚木さんの作品はあったかいですよね。

福森:永田さんのネクストステージはどんなものでしょう。

永田:やっぱり民藝の作家さんのところにも行っているので…

福森:店内のギャラリースペースを広げていますものね。コロナの影響もあって。もう民藝店をやってはいかがですか。今、民藝はリバイバルすべきですよね。

永田:ここの半分を民藝店にしてしまうか。

福森:広いですからね。ぜひぜひやって欲しいです。作家さんとはどうやって出会うんですか?

永田:民藝店で見て、覚えて、直接行ったり電話したり。でも自分が好きなのは小鹿田焼、小代焼、出西窯、湯町窯…有名なところですよ。民藝が行き着くところはここ、というものがあるんでしょうね。日本民藝館に初めて行ったとき、自分が好きで集めてきたものが全部あって驚いた一方で、やっぱりここに行き着くんだ、と思いました。

福森:息の長いものはそうなんでしょうね。

永田:息の長い、だから民芸品なんですね。民芸品は飽きが来なくてずっと使い続けられるものですから。この砂糖壺も出会ってから50年くらい経ちますが、形が変わっていないです。車でもなんでも、そんなのが好きですね。

福森:遊び心のある、昔ながらのデザインですね。永田さんは「どうでもいい」ということがないですね。コーヒー屋さんとお蕎麦屋さんはたいてい凝り性だと思うけど、永田さんはちょっとその域を超えているからね。コーヒー屋さんだけどコーヒーから入っていなかった(笑)。ありがとうございました。ぜひ、これからもいろいろ教えてください。

永田:はい。ありがとうございました。

文中に登場する砂糖壺。出西窯のもの。

季刊誌99号『人』ページより掲載(季刊誌購読方法はこちらへ

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永田幸一郎(ながた こういちろう)

昭和27年9月17日生まれ
日本大学経済学部卒業
1975年 永田村右衛門商店入社
1980年 中村珈琲館入社
1985年 可否館開業

〈可否館〉
〒890-0023 鹿児島市永吉2丁目30-10
営業時間/10:00〜20:00
定休日 /第1・3・5水曜日
http://coffee-kan.com/