2020.05.28 UP DATE
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四元 朝子(サンカイ・プロダクション代表)

福森 伸(しょうぶ学園統括施設長)

白水社より2019年に出版された『アール・ブリュット』(エミリー・シャンプノワ著)の共訳を務められた四元朝子氏。本の出版を記念して、学園にて「アール・ブリュットのお話会」が開催されました。当日は工房しょうぶのアトリエツアー、四元氏と福森のアール・ブリュット対談、ミニライブと盛りだくさんの内容に。ここでは対談の一部をお届けします。

左 福森 伸、右 四元 朝子氏

四元:私は普段は広報をしているのですが、一昨年に『アール・ブリュット』という本を翻訳する機会をいただきました。エミリー・シャンプノワという臨床心理士で精神分析家の方が著者で、もとはフランスで出版された本です。精神分析医の著者が「アール・ブリュット」という概念がどのように成り立ったのか、どういう思想の上にあるのかということを突き詰めている内容です。それを西尾彰泰さんという哲学者のラカンの研究者で精神医学のスペシャリストの方が翻訳して日本で出版したいとおっしゃって、美術方面の知識がある人に共訳を依頼したい、というオファーがあったんです。私はこれまで文化複合施設や作品を作るセンターに勤めてきて、ちょうどその頃、鹿児島に帰ってきていて、個人的なことですが親が入院していたので病室でできる仕事を探していたんです。それまで展覧会を見たこと、話を聞いたことはありましたが、アール・ブリュットについてはこの本を訳すに当たって初めて本格的に足を踏み入れたというのが正直なところです。

福森:そうだったんですね。僕は四元さんとはKCIC(かごしま文化情報センター)にいらしたときに知り合ったんだったかな。

四元:そうでしたね。それでこの本が出た2019年7月に、いろんな方に「こんな本が出ました」と言うと、何人かの方から「鹿児島に障がいのある方がアートやクラフトの活動をしているおもしろい場所がありますよね」としょうぶ学園のお話が出て。私自身、前からこの場所が好きでときどき来ていたんですが、ここでアール・ブリュットについてのお話会をしたいな、と思って福森さんに相談して、今日の機会が実現しました。

福森:はい。

四元:今日のイベントの打ち合わせで、福森さんから「生きることにつながる創作活動、〈作る〉と〈生きる〉の関係ってなんだろう」というお話が出て、ますますお話したいなと思いました。

福森:そうでしたか。でも実は僕は、アール・ブリュットという言葉はあまり使わないようにしているんです。どんなに外からカテゴライズしても、それぞれの作家やアーティストがどんな気持ちで描いているかなんて分からない。だからあまりカテゴリー分けしたくないな、ということもあって。例えば、障がいを持つ人たちや作品を人に見せようとしていない人たちの作品を一般の人が見にいく。それを良しとしない人もいるけれど、結局は本人がどう捉えているかですよね。アール・ブリュットの作家とされている方でも、人に見られてその刺激で動く方もいらっしゃるし、人に作品を絶対に見せないという方もいらっしゃると思います。

四元:そうですね。

福森:『アール・ブリュット』の本にもありましたが日本では「アール・ブリュット」は「障がい者アート」とされがちですが、完全にイコールではない。それに、自分の本にも書きましたが、そもそも何を持って障がいと言うかということになってきますよね。しょうぶ学園を利用されている方は知的、あるいは精神に障がいがあると公的に認定されている方ですが、障がいというものは実は一般の方のなかにもたくさんあるし、いろんな障がいがある。そうすると障がい者と簡単にカテゴライズできない、人間というカテゴライズしかできないんですよね。人間のなかに、人とは違ったやり方で芸術をする人がいる、というのがアール・ブリュットだと僕は思っています。四元さんのことは好きなのでこのイベントのお誘いを受けましたが「アール・ブリュット」というテーマで自分はお話できるのだろうか、と今、実は非常に困っているところです(笑)。

四元:そうでしたか(笑)。

福森:スイスのローザンヌにあるアール・ブリュットの美術館に一度行ったことがあって、すごい力がありました。出口に行き着くときにはちょっと具合が悪くなるくらい、エネルギーに満ちあふれている。万博公園の博物館も重い。昔のミイラを作った人たちとか呪術師、占い師、生命をかけた形でものを表現していく人たちの展示。そういうものがアール・ブリュットなのかな、と思いますが、自分のためにやる。描かざるを得ない。その要素はしょうぶ学園の利用者の方々にも見られるんですよね。でもアール・ブリュットの作家の条件に孤独であること、と本にあって、ここでは僕ら職員がときには指導もしているし、材料を渡したりもするので孤独ではないし、アール・ブリュットの定義には当てはまらないんですが。

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しょうぶ学園内のパスタ&カフェ otafukuにて対談は行われた

四元:私が病室でできる仕事を探していたという話を先程したと思うんですけど、この本のなかに、作家で、母親が亡くなったがためにあまりのショックで、遺骨を持って地下に閉じこもってしまって、そこで描いていたものが素晴らしかった、本人が亡くなったあとにそれが見つかったというエピソードがあります。それに自分自身がすごく重なったんです。大切な人の病とか死と直面している。ある意味で、極限状況に置かれている。そう考えると、その作家の状況って、私が陥いってもまったくおかしくない状況なんだなと思ったんです。このエピソードの作家は描くことで、何とか自分を生きている。私はその親の病床のとなりでこの翻訳の仕事をしていて、それが前を向いて進むための時間だったんです。私の仕事はもちろんアール・ブリュットではないんですけど、非常に似たところにいるなと。なんとかこの時間を過ごすためにやること。アール・ブリュットとは何か、ということを解き明かす本を訳しながら、自分のなかにもそのテーマが入ってきて、自分でもすごく考えました。

福森:恐怖とか孤独から逃れるために描かざるを得ない人も多くて、自分が置かれた世界のなかで、自分で自分を満たすしかない、私はここにいるぞ、みたいな。でもその絵を見せることはしない。

四元:そうやって考えると、極限の状態で「自分なりに何らかの表現をしないと」と考えてしまうのって…すごく、人間って希望があるな、と感じました。生きる術をそこに見つけるということは、自分なりに何とか前向きに持っていく力が表現にあるということ。それって素晴らしいですよね。

福森:この本に「おそらくアール・ブリュットは、我々に謙虚さを教えるという役割を果たしている。それは、デュビュッフェが望んでいたことであろう。アール・ブリュットは、自分自身もわからない場所、光に照らされたところよりも、光が当たらないところに繋ぎ留められている。そして、完全に硬直しているよりも、生き生きと変化することを好む」とありますね。謙虚な芸術、自分だけの行為であって、誰に見せるためでもない。

四元:私が勤めていた文化施設等でも、作家は作品を作ろうと素材に向き合う。そうすると、本人は作品だと思ってないのに、周りの方たちが、これおもしろいんじゃない、と言って、価値を作っていくようなところがありました。結果的に、外側から作品たらしめられるという。本のなかでも作品を作るというより、それに向かう行為そのものが作家にとっては意味がある、とありました。しょうぶ学園でも、マスキングテープの展示をされていたときに、展示物の椅子の裏までマスキングテープがすごくきれいに貼られていて、普通にしていたら見えないところなんですよ。なので、人に見せるためではない故に、逆にそこまでやってしまうというのもすごいなと思いました。

福森:行為の積み重ねがすごいパワーを持ちますよね。

福森:本当に。結果よりも、過程が自分自身のものであるか、というのが重要なんだと思います。今日はありがとうございました。

四元:はい。アール・ブリュットにしろ、しょうぶ学園の皆さんの作品にしろ、作品だと思わずに作ってる人たちのパワーってすごい。人間ってまだまだおもしろいな、と思わざるを得ません。

『アール・ブリュット』白水社文庫クセジュ
エミリー・シャンプノワ著  西尾彰泰・四元朝子訳
2019年7月3日出版


アール・ブリュットの起源、呼び名、概念、作品の素材や形式、愛好家やコレクター、近年のブーム、美術館や市場までを概説する。(出版社HPより)

季刊誌97号『人』ページより掲載(季刊誌購読方法はこちらへ

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四元 朝子(よつもと・ともこ)
1996年 上智大学文学部フランス文学科卒業。アヴィニョン大学 アーツマネージメント学科修了。
これまでの経歴に、スパイラル(株式会社ワコールアートセンター / 広報)、山口情報芸術センター[YCAM] (公益財団法人 山口市文化振興財団 / 企画・制作)、France Danse 03 (フランス・コンテンポラリーダンス・フェスティバル / 広報)など。主に美術、舞台芸術、デザイン、プロダクトと、食、美容、文化施設全般の広報活動を行なっている。